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広島地方裁判所呉支部 平成2年(ワ)161号 判決

原告

砂堀正

被告

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

太田貞夫

森脇秀仁

中垣秋夫

石原繁登

田坂嘉章

中尾雄彦

被告

〓本敏光

川端喜三一

右両名訴訟代理人弁護士

鵜野一郎

被告

能美町

右代表者町長

田中早苗

右指定代理人

太田貞夫

森脇秀仁

中垣秋夫

小方憲三

渡一明

"

理由

第三 不法行為の成否について

一  地籍調査について

1  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1)  被告能美町は、昭和三八年、国土調査の事前準備として、航空測量を実施し、広島県知事の昭和四一年六月一〇日付け本件地籍調査事業の委託通知を受けて、本件土地のある高田地区についても、地籍調査の実施手順に則り、手続をすすめた。まず、土地所有者等関係者に対し、地籍調査の意義、手順及び協力方を記載したチラシを回覧し、更に広報紙及び有線放送等を活用して事前周知を図った。また、高田地区公民館における説明会(一回)を開き、回覧と同一内容の説明をし、一筆地調査の際の現地立会を求めた。一筆地調査に着手する前に、登記簿、公図及び航空写真(一〇〇〇分の一)を参考に基図(能美町大字高田調査図)を作り、各土地所有者に対し、一筆地調査に入る旨の通知(調査の月日と立会依頼の記載されたもの)を出すとともに、各土地毎に作成した一筆地標札(各所有者に、地番毎に現地の境界に杭を立ててもらい、それに右標札を括りつけてもらう)を配付し、調査の直前には、これに立ち会うよう数次にわたって有線放送で呼びかけた(ちなみに、当高田地区の地籍調査は、能美町の中で最後になされた)こと。

(3)  一筆地調査は、単位区域内の筆毎の土地について、その所有者、地番及び地目の調査並びに境界の調査確認を行う作業であり、地籍調査の作業工程の中で最も重要なものであり、この調査にあたっては、必ず土地の所有者等(代理人も可)の立会いを求めて行うこととされている(地籍調査作業規程準則二三条)。また、境界は、隣接する土地所有者等双方の協議に委ねられており、境界の紛争があって、協議が整わないときは、筆界未定地として処理されており、担当者が勝手に、或は一方当事者の言い分を鵜呑みにして境界を決めるようなことはできず、担当者(当時、能美町産業土木課農業共済地籍係の係長加藤銀藏、同係員空田又彦、同嘱託員卯原広三の分担)によって処理方法が異なることはなかったこと。

(3)  本件土地の場合、被告能美町が前記のような手続を履行したにもかかわらず、一筆地調査の際には、原告は立ち会っていなかった。原告の兄亡砂堀功は、当時、本件土地の両隣、すなわち南東側(三三四六番)と北西側(三三四四番一。この地番から三三四四番一〇が分筆されて、被告川端に売却されたのは昭和五二年のことである)の両土地を所有していた(別紙図面Ⅱ参照)。右砂堀功は、後日、原告に対して、「仲のいい町会議員が間に入って、役場が協力してくれと言うので、協力した」と洩らしていること(但し、手続上、委任状を徴することまではせず、本件でも出されていない)。

(4)  また、被告能美町は、一筆地調査終了後、業者に現地測量を依頼し、昭和四二年七月、測量を終え、本件地籍図の原場作成後は、その成果を最終確認してもらう趣旨から、「地籍図仮閲覧についてお知らせ」と題するチラシを各戸回覧に付し、同年一〇月六日、能美町役場高田支所において、各高地地区の地籍図の仮閲覧を行った(同支所における仮閲覧は、同年一〇月二日から同月七日まで)。また、地籍図と地籍簿作成後は、「地籍図及び地籍簿の作成公告」と題する公告を提示するとともに、右公告と同内容のチラシを、それぞれ各戸回覧に付し、併せて有線放送による住民周知図り、昭和四三年二月一二日から同年三月五日までの二〇日間、高田支所で、右調査の成果を本閲覧に供したこと。

(5)  原告が主張している本件水路部分についても、本閲覧の際、訂正の申し出がなされていれば、訂正が可能であったが、原告は、仮閲覧や本閲覧のことを知らず、同人からは訂正の申し出がなかったこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(なお、原告は、本件地籍調査は、本件水路の隣接地権者の一人であった訴外亡被告〓本政一(被告〓本の先代)らと結びついていた町会議員及び調査担当職員らが結託して、ことさら原告に調査の事実を知らせず、進められたものである旨主張するが、これに副う原告本人の供述部分は、前掲各証拠に照らして信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)

2  右認定事実を総合すると、広島県知事から本件地籍調査事業の委託を受けた被告能美町において、土地所有者等関係者に対する地籍調査の意義、手順の説明、協力の要請から始まって、一筆地調査から成果の閲覧に至るまで、法令の定めに従って適正処理がなされたものというべきである。

被告能美町において、これだけ手を尽くして、なおかつ地籍調査の事実を知らない地権者がいたことは、非常に稀な事例であると思われるが、問題は、本件土地の場合、代理人を含めた関係者が一筆地調査に立ち会った処理がなされていることである(誰も立会いがなければ、筆界未定として処理されているはずである)。原告の実兄砂堀功が、後日、原告に告げた内容からしても、本件土地を左右から挟む形で土地を所有していた足功が、一筆地調査の際に、原告所有の本件土地(三三四四番一から本件土地が分筆されたのが本件地籍調査が本格化する直前の昭和四一年一月であり、原告が亡父頼人から相続を原因として所有権移転登記を受けたのが、同年二月のことで、兄功の協力があったものと思われる)の調査にも、併せて立ち会ったとみても特に不自然ではなく(現地を説明する者としての適格性に問題はない)、また、町の担当職員が同人を原告の代理人と認めて手続を進めたことは、別段異とするに足らず、この点をとらえて手続の違法をいうことはできない(代理人による一筆地調査の立会いは、財産の処分権限を付与されたわけではないから、委任状を徴さなかったことをもって違法ということはできない)。

以上、本件地籍調査に当たり、その手続面において、調査担当者に特に落ち度があったとは認められず、その違法性を問うことはできないというべきである。

3  本件水路を法定外公共物と認定したことについて

次に、実体的な判断の面で問題がなかったかを検討するに、〔証拠略〕によれば、〈1〉公図には河川は記載されていたが、水路(青線)の記載が全くないにもかかわらず、現場には、現に水路として供されている施設があったこと、〈2〉本件土地の一筆地調査を実施した際、水路部分については、その所有権が私人に帰属することが明らかにされなかったこと、〈3〉他方、本件水路部分と南東方向で接続し、かつ訴外砂堀功所有の三三四六番(当時)の土地の南西側に接する水路については、同人の立会い及び同意を得て、公共用水路とされていること、〈4〉本件水路の存在する高田地区には、公図に水路の記載がない箇所にも法定外公共物としての水路が多数存在していること、が認められ、当時の法定外公共用物に対する管理の沿革及び実態に照らして、本件水路を法定外公共物と判断したことも一応頷けるのであって、これを違法とまでいうことはできない。

二  事後の対応について

1  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(1)  原告は、昭和六二年三月頃、能美町役場において、小淵産業建設課長と面談中、机に拡げられた広島県による公共排水路のモデル事業図面に、本件水路が青線で塗ってあるのをみて、同課長に問い糺したところ、公共用水路であるとの返事で、この時初めて本件土地の一部が取り込まれていることを知ったこと。

(2)  そこで原告は、何度も能美町役場に足を運び、右小淵課長や昭和六二年六月頃、同課長に代わって就任した大津課長に対し、公共用水路ができた経緯について釈明を求め、併せて、町として善処するよう求めた。しかし、被告能美町としては、本件水路が原告の所有であることは認めたものの、本件土地に関する地籍調査の成果は、内閣総理大臣の認可を得て既に確定しており、もはや国土調査の手続の中での訂正という方法が採れない(もともと法が予定していない)こともあって、「あんたが地籍調査に立ち会わなかったから、あんたが悪い、元には戻せん」(平成元年三月、大津課長)とは「裁判はするな。役場を相手に裁判して勝ったためしがない。」(中口助役)といった対応に終始し、町として問題解決に動く姿勢を示さなかったこと。

(3)  そこで、原告は、止むなく平成元年七月頃、弁護士に相談し、その頃、高盛政博弁護士とともに能美町役場を訪れ、大津課長と面談したところ、今後の処理について、原告において隣接地権者ら全員の承諾が得られたら、能美町から訂正の手続をとる旨の回答を初めて得た。そこで原告は、被告〓本や同川端らに対し、その承諾を求めたが、承諾の判がもらえなかったこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。(なお、原告は、昭和六二年三月頃における原告の申出により、能美町の実施した地籍調査の手続の誤りにより、間違った調査結果を出したことが判明したのであるから、速やかに事実経過を調査し、これを原告に説明するとともに、積極的にその訂正手続に協力すべき職務上の義務があるにもかかわらず、前記〓本政一らと結びついていた町会議員の介入により、ことさらにこれを怠った結果、昭和六二年三月頃から平成元年七月まで二年以上も本件の解決を遅らせた旨主張するが、これに副う原告本人の供述部分は、他の証拠に照らして信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。)

2  右認定事実を総合すると、被告能美町のとった事後の措置を違法とまで断定することは困難である。

しかしながら、能美町の責任で問題を解決するよう迫る原告の要求に対し、被告能美町が、国土調査法の範囲で動くことができないことを楯に、原告が止むなく弁護士を同道して善処を求めるまで、約二年余にわたって、消極的な姿勢に終始していたこは、地域住民のサービスを旨とする行政のあり方として、適切な対応であったとは到底いえない。確かに、弁護士が関与してから、町として地方税法に基づく訂正の方法が示唆されている。しかし、これは隣接土地所有者である被告〓本らの承諾が得られなかったため、結局、被告能美町としては、原告の要求しているような訂正手続を採れなかったもので、この点では被告能美町の非を問うことはできない。(ちなみに、原告は、町会議員らの介入による不動産侵奪を疑っているが、原告から問題の指摘があった初期の段階で、被告能美町が素早く適切な対応をしておれば、本件はもっと違った形をとっていたと思われる。)

三  以上のとおり、原告の主張する不法行為は、いずれの点からするもこれを認めることができず、損害の点について判断するまでもなく、損害賠償の請求は理由がないことに帰する。

第四 結論

よって、原告の本訴請求のうち、土地所有権確認を求める請求(但し、被告〓本に対するD土地の所有権確認部分を除く)及び境界確定を求める請求については、いずれも理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本昭彦)

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